金沢の旅-01
まずはこの度の西日本豪雨で被災されたみなさまに心よりお見舞い申し上げます。
猛暑のなか、復旧しなければならない過酷な状況を報道で見ていると心が痛みます。
またいつ自身が当事者になるかもしれない自然災害への備えや教訓をこれまでの災害から学びたいと思います。
早く日常を取り戻せますよう、お祈りしています。
さて、そんな豪雨のなか、以前から予定しておりました母娘旅、金沢編を残していきたいと思います。
7月7日から2泊3日で行ってまいりました。
最近の母は、身体の中で正常なところは無いんじゃないかというくらいどこもかしこも不具合なのですが、
持ち前の精神力と行動力でのり切りました。
初日は羽田から小松空港まで飛行機で。
ANAはWifiがほぼ使えるようになったので、ゲームしながら行こうかななんて思っていたら、あっという間に着きました。
東京から雨の中、晴れ女の母のパワーも役に立たず、小松についても雨、けっこうな雨。。。
今回のメインイベントの1つでもある、安宅の関。
私のルーツでもある、この地を訪れたいとのことで、行ってまいりました。
小松空港から乗ったタクシーの運転手さんが、まぁガイドさん並みの名案内人の方で、
雨ということもあって、大変親切にツアーをしていただけました。
今あるこの関所は移転してきたものらしく、本来は海岸から500m先のところに建っていたらしいです。
私の実家の海岸もそうですが、砂浜が浸食されどんどん砂の部分が無くなってきています。そのため、海に埋もれてしまうので、こちらに移動してきたようです。
私の苗字は珍しい部類に入ると思うのですが、なかなか読んでもらえず、でも一度覚えたら忘れにくいそんな苗字なのですが、
この地に来ると安宅の関をはじめとして、安宅海水浴場、安宅住吉神社、そして安宅が付く郵便局やら学校やら、とにかくこの地は安宅だらけ。
不思議な感じです。
そもそも安宅の関とは、源義経が兄の頼朝に追われ、義経を捕まえるためだけに設けられた関所。
逃げるにはこの道をどうしても通らなければいけく、通りがかりの弁慶が偽りの勧進帳を見破ったにも関わらず、関守の同情を得て通ることができたという、
今では有名な歌舞伎の「勧進帳」の起源だそうです。
安宅の関は1人のためだけに作られた関所ということに驚き、また歌舞伎の演目になるような話ができたということも初めて知りました。
タクシーガイドさんに安宅住吉神社にも連れて行ってもらって、
そこでもいろいろ巫女さんからお話を伺いました。
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